アフリカ大陸の最北西端にある小さな国「チュニジア」に妻と二人で、毎年正月休みを利用して20日間ほど行きました。最初に行った理由は、有名なジャズの曲「チュニジアの夜」に憧れて「どんな国なんだろう?」とただ興味本位で行きました。その後チュニジアと言う国が大好きになり毎年4回ほど行く事になりました。首都のチュニスでは到着後すぐ泊まるホテルでは、ホテルマンにも顔を覚えてもらえるようになり、第2のふるさとのような気分になりました。
チュニジアには個人で格安航空券を手配し、ヨーロッパ経由で行きました。ロシアのモスクワ経由やフランスのマルセイユ経由、ドイツのフランクフルト経由など、毎回経由地を選ぶ事も楽しみながら手配していました。イタリアからなら近いのですが、ちょっと割高の事もあり行けなかったのが今になるととても残念に思っています。しかしマルセイユからイタリア上空を飛んでいる時、イタリアの海沿い島、イタリア本土の端を眺められたのは楽しかったです。
チュニジアでの食事は小さな店に入ることが多く、日本では知らない食べ物を食べる事ができました。クリスマスの時は街のあちらこちらで売っている、鳥の丸焼きを買ってきて、ホテルのテラスで、街の風景を眺めながら食べました。醤油をつけて食べたらもっと美味しいかも、など笑って食べたことを思い出します。
チュニジアの街を歩いていると、一般人が小銭稼ぎの為「ガイドをさせてくれ!」とやってきます。ガイドすると言ってもただ道案内するだけなのですが、旅行者としてはちょっと面白いものです。チュニジアの砂漠地方の小さな街で知り合ったガイドの青年は、とても好青年で、小さな自宅に招待されて、友達も紹介してくれました。
別れる時、小銭を渡そうとしたら「友達だからいらない!」と言われ、涙が出る思いでした。とは言え、とても貧しい家に住み、小さな弟や妹もいたので、少ないけれどお金を渡すと、恥ずかしそうに笑いながら受け取ってくれました。そしてホテル前でハグをして別れました。
ホテルの部屋に入っても、とても清々しい気持ちでした。もう一生会う事もないチュニジアの青年!と思うと淋しく、想い出としてとても暖かく感じます。その後その青年はどうしているのか?チュニジアやアラブ世界のニュースを見るたび思い出します。ガイドは何人もいましたが、この青年が一番誠実なガイドでした。小さな弟や妹のために一生懸命仕事をして育てている青年の幸せを願うばかりです。
チュニジアの中央部、アルジェリアとの国境近くの小さな村の村はずれのホテルに帰ろうと、その村で知り合った青年と道を歩いていたら、護送車のようなパトカーのような車が泊まり、中から革ジャンを着た警察官が4人ほど降りてきて、「車に乗れ!」と指示され、青年と私達夫婦は車に乗り込みました。中には怖そうな警察官が6人ほど乗っていて、とても怖かったです。
私達夫婦より一緒にいた青年の方がもっと恐怖だったと思います。結局10分程車に乗り、その後警察署に行き、私達は釈放!村の青年は警察署の奥の部屋に連れて行かれました。その次の日、ルアージュと言う乗り合いタクシーでアルジェリアとの国境付近を走っていると、砂漠の真ん中で警察に車を止められ、私達外国人以外のルアージュに乗り合わせていたチュニジア人の青年4人が外に出され、持ち物のすべてをチェックされていました。
結局何事もなく青年達も車に戻る事ができたのですが、その後の車の中では、警察への不満を青年達は言い合っていました。今考えるととても怖い事だったのかも知れません。チュニジアはテロや窃盗も多いので警察の数も多いのかもしれませんが、それでも夜間の女性の一人歩きなどは避けた方がいいと思います。